逃げたくなる程 厳しかった修行時代。
でもそのおかげで技術が身についた。
- Q. 自己紹介をお願いします。
株式会社コスモス 代表取締役 小川 正です。
- Q. 出身地はどちらですか?
長崎県壱岐市です。
- Q. 創業された年を教えてください。
昭和54年8月です。(1979年8月)
創業当時は『小川工務店』から始まりました。- Q. 小川社長は、なぜ住宅建築の会社を起業されようと思ったのですか?
いきなり起業しようと思ったわけではありません。思い起こせば、15歳のころ。当時、時代は高度経済成長期の真っただ中、もう一人前に自立しなければならないと思っていました。
また、手に職を付けてもらいたいという両親の想いもありまして、生まれ育った壱岐から、親戚が経営する神奈川県横浜市の工務店に大工の修行に出たことが、住宅業界に携わるきっかけでした。大工の棟梁でもあった横浜市の親戚のもとで、昼間は大工修行、夜は夜間高校へ行って勉強する、そんな生活を送っていました。
勉強もさながら、棟梁の指導が、それはもう厳しいものでした。逃げたくなることもありましたが、そこを踏ん張って続けた甲斐もあって、20歳のころには住宅1棟を任されるほどまでの大工になることができました。今思えば、そのおかげで、こうして大工技術が身についたのですから、本当に感謝しています。
その後福岡に戻り、知人の紹介でエアコンの取付工事をしていました。
当時は、主にエアコン・・・と言っても、まだ冷房専用がほとんどだったんですが、取付工事には建物の構造の知識も必要だったので、大工修行で建築知識が身についていた私は大変重宝されました。
そうしているうちに、個人で経営をしている地元の工務店からお誘いを受け、その会社にお世話になることになりました。
そこでは、新築工事はもちろん、増改築など、大工としてだけではなく現場監督としての仕事もしましたし、また、お客様の対応係として、色々なことも経験させていただきました。
しかし、数年後、当時かわいがってくれていた社長が、急逝されてしまいました。
何しろ急なことでしたし、個人経営の会社の社長が亡くなるということは、工務店そのものがもう存続できないということと同じようなことでしたので、それはもう大変でした。
ただ、一番に考えたのは、お客様のことでしたね。
当然まだ建築途中のお客様もいらっしゃいましたので、その方たちに迷惑をかけるわけにはいきません。
社長の奥様ともお話しし、ここはどうにか踏ん張って最後までやり遂げようということでみんなで一致団結し、取引業者など色んな方たちにもご協力いただいて、なんとかすべてのお客様のお引渡を終えることができました。
実は、このときに協力して、支えてくださった取引業者の方たちに、『応援するから、独立してはどうか』と言ってもらったことが、起業のきっかけなんです。
その時、私はちょうど30歳でした。
創業当時は苦労の連続。
昼は現場で工事 夜は妻とチラシ配り。
- Q. 『小川工務店』の誕生ですね。会社の主な事業はどういった工事でしたか?
当時は主に増改築工事や、建売住宅の下請工事、それから新築工事もしていました。あと、その頃多かったのが、水洗トイレへの改修工事でしたね。
創業当時はやっぱり苦労しました。
宣伝といっても、今みたいに、インターネットなんてないですし、モデルハウスがあったわけでもない。
昼は現場で工事、夜は妻と一緒にチラシ配りをしていました。
妻も手先が器用なので、昼間は現場でボード貼りの作業などを手伝ってくれました。そのときは、今ではとても考えられないですが、赤ちゃんだった長女を現場に連れて、傍らに寝かせて仕事していましたね。
実は長男が生まれたときも、妻が事務所の駐車場で産気づいてしまい、私が取り上げたんですよ。雪の舞う寒い冬の日のことでした。
今ではその長男も、嬉しいことに私と同じ仕事を選んでくれました。小さな家を事務所にして、あるのは自分の大工の腕と、家族の支えでした。そして、今現在でもお付き合いいただいている、大工さんや工事業者のみなさんの応援でした。
そのうち、ありがたいことに、工事したお客様の口コミといいますか、『小川さんのところはいいよ』と言っていただけるようになって、紹介をたくさんいただけるようになりました。そうやって、少しずつですが実績を上げていくことができました。
お客様の図面は全て私が手描きで。
大変だったけど『お客様の夢を叶える図面』だと思うと楽しかった。
- Q. 社員は徐々に増えていったんですか?
はい。会社を始めて5~6年後、某FC(フランチャイズシステム)のハウスメーカーに加盟して、多くの新築工事を請け負うようになりました。その頃から、徐々に社員を増やしていきました。
その頃は、創業当初から共に会社を切り盛りしてきた、相棒とも言える専務が現場を担当し、私は営業サイドの、いわば店長のような役目をしていました。
また、壱岐から福岡に出てきていた私の妹が、経理や事務の一切を引き受けてくれるようになり、ようやく、会社の体(てい)を成したような感じです。営業担当も6人ほどになっていました。
営業担当がお客様に持っていく図面は、6人分、すべて私が書いていたんですよ。
営業がお客様のご要望を伺い、それを元に私が図面を起こす。私が書かないと、営業できないので、それはもう大忙しでした。当時はまだCADが出始めで、私はひたすら手書きで図面を書いていました。ときには、私が、直接お客様のご要望を聞きながら、その場でフリーハンドで図面を書いていくこともありました。
大変でしたが、これは『お客様の夢を叶える図面』なんだと思うと、とても楽しかったことを覚えています。
大きな出会い、大きな分岐点の訪れ。
- Q. ユニバーサルホームに加盟されたのはいつ頃ですか?
平成7年です。(1995年)
前述の某FC(フランチャイズシステム)ハウスメーカーに加盟した際、当時、FCハウスメーカーの代表をされていた加藤充社長(現ユニバーサルホーム代表)と出会いました。この出会いが、私にとっても会社にとっても、
大きな出会いと、そして大きな分岐点でした。
その加藤社長が、ユニバーサルホームという、今までよりもさらに良いフランチャイズシステムの住宅メーカーを立ち上げると聞いたとき、
私はその経緯や、加藤社長が考えていらっしゃることがよく理解できました。ユニバーサルホームなら、今まで以上に、お客様へ本当に価値のある家を、適正な価格で提供できる。そう確信しました。しかし、そのことを考えながらも、一番思い浮かぶのは、その時にご契約をいただいているお客様たち、建築中のお客様たち、そして引き渡してきたお客様たちのことでした。
加盟フランチャイズの変更をすれば、そういったお客様たちに大きな不安を与えてしまうと思いました。
契約したばかりなのに仕様はどうなるんだろう?建築途中なのに?引き渡したばかりなのに?アフターメンテナンスは?保証は?お客様にそのような不安と不信を持たれるのならば、諦めた方がいいのではないか・・・。
本当に悩みました。
ユニバーサルホームへの加盟時、決意を新たにしたことは今でもよく覚えております。
- Q. ユニバーサルホームに加盟することについて、お客様たちの反応はどうでしたか?
私達はこのことを、契約中のお客様、建築中のお客様、お引渡したお客様、それぞれのお客様へ真摯にお話ししていきました。
お家の仕様が良くなること、アフターメンテナンスも保証も、きちんと私どもが責任をもって行うということ。
そういうことを一生懸命、誠実にお話しさせていただいた結果、私達が思っていたより、事もなくお客様たちに受け入れていただけました。これは本当にありがたいことだと思いました。
そして、新たな決意を胸に、これからの日本の住宅業界に一石を投じることのできるユニバーサルホームに加盟することを選びました。
「これで多くのお客様へさらに良いものを提供できる」と新たな自信が生まれました。
もちろん、これまでご建築して頂いたお客様のことを一番に想い、決してご迷惑は掛けまいと決意したのを今でも覚えております。
良い商品をきちんとしたシステムで提供し続ければ業績は必ずついてくる。そう信じて向かい風の中ひたむきに頑張った日々。
- Q. では、ユニバーサルホームに加盟して、何もかもうまくいったという感じですね。
いやいや、そう簡単にはうまくいきませんでした。
なにしろ、ユニバーサルホームは出来たばかりで、ほかの既存のハウスメーカーに比べたら、無名も同然でした。それに、ユニバーサルホームができて、周りのハウスメーカーからかなり警戒されました。
商談中のお客様が、ほかの住宅会社から
『これだけの仕様でこの価格でできるはずがない』
『手を抜いている』と言われたり、根拠のない、不安を煽るような話をされたりと、妨害に近いものがあったこともあります。良い商品をきちんとしたシステムで提供し続ければ、業績は必ずついてくる。私達はそれを信じて、ただ、ひたむきにお客様にお話していくしかありませんでした。
しかし、そんな向かい風の中でも、協力してくれる業者さんや大工さんたちも多く、そういった方々に恵まれて、少しずつではありますが、業績も伸びて行くことになりました。
幾度もの窮地を救ってくださったのはお客様でした。
- Q. 少しずつ軌道に乗り始めたということでしょうか?
はいそうです。
しかし、軌道に乗り始めた一番の理由は、ご契約いただいた建築中のお客様のご協力でした。建築している途中のお客様のお家を、他の商談中のお客様に見ていただいて、どんな基礎を打ってどんな材料を使っているかなどを実際にご説明するようになってからです。
いわゆる現場見学会ですね。これは本当に効果的でした。特に、まだ知名度がないユニバーサルホームの家の構造というのは、話だけではなかなか安心していただくことができませんでした。
営業マンが、図面や資料を見せてどれだけうまく説明したとしても、何しろ現物がありません。そんな新興のハウスメーカーの話を信じてもらう方が難しいです。
そこで、現場見学会でした。
実際の現場を見ていただくことで、信用していただき、ご契約をいただける、ということが多くありました。また、当時はまだ4店ほどしかモデルハウスも持つことができなかったのですが、ご建築いただいたお客様で完成してから入居まで時間のある方が、しばらくモデルハウスとして貸してくださることもありました。
まさにお客様に救われました。 ここでもお客様に救われました。
当時は、おかげさまで業績もどんどん伸びていきました。
しかし、これで順風満帆と思っていた矢先、創業時からの私のパートナー、いえ相棒とも呼べる、一緒に会社を切り盛りしてきた当時の専務が病気を患い、闘病生活の末、他界しました。
それは、会社にとってはもちろんのこと、私自身にとっても、言葉では言い表せないほど辛かった喪失でした。
ですが家族や周りの社員に励まされ、さらなる飛躍をと、彼の遺影と、そのご家族に誓いました。
いろんなことがありました。苦労も楽しかったことも。
でもそのおかげで、頑張っていかなければという気持ちはどんどん強くなりましたね。社員も増えていき、モデルハウスも増やしていきました。
現在では5店舗のモデルハウスを持つことができました。
優良法人として認定を受けました。
- Q. 2000年に入って、西福岡税務署より優良法人として表敬されていますよね。この認定を受けることが出来るのは、厳しい基準を全て満たしている企業のみと聞きましたが。
はい。認定されるのは法人全体の約0.5%足らずで、企業にとっては大変名誉なことであります。
適正な申告と納税を行っていることはもちろん、そのほかに帳簿等の適切な整備状況、経理組織の整備、諸取引に不正がないかなどを数年間に渡り分析しているそうです。
しかも、ありがたいことに2016年にも表敬訪問を受け、今回で三期連続の評価です。
創業から今まで、正に『人』に巡り合い、『人』に支えられてここまでやって来た。
- Q. 起業してから今までの決算の資料を拝見しましたが、なんと、赤字を出したことがないんですね!
起業してからこれまでの間に、バブルの崩壊やリーマンショックなど、様々な経済危機に見舞われました。
特にバブル崩壊のときには、知り合いの工務店や住宅会社の中にも、残念ながら倒産してしまった会社があります。
その多くは、バブルの全盛期に無理な不動産投資や土地開発を行い、崩壊後、その在庫を抱えて立ちいかなくなったという話を聞きました。
『赤字を出さない=利益を生み出すこと』であり、
当然、会社というものは利益を出さないことには生き残れません。
しかし、目先だけの大きな利益のみに固執するのではなく、無駄を省いて節約する堅実な経営を心掛けてきたことと、社員を始め応援していただける業者の皆様、そして、よりよいものを、適正な価格で提供し、たくさんのお客様から安定して受注をいただけてきたこともあって、幸いにも我が社はこれまで会社を継続してくることができました。
振り返ってみると、創業から今まで、
正に『人』に巡り合い、『人』に支えられて
ここまでやって来たと思います。
これからも、『100年続く会社』を目指してまいります。
住宅を建築する企業は、存続し続けることが最大の責務。
- Q. 『100年続く会社』ですか。
はい。住宅は何十年と長く住まい続けるものです。
だからこそ住宅を建築する企業は、存続し続けることが最大の責務と考えております。企業拡大にこだわらず、納得のいく家づくりを長きにわたり継続し、安心して住まい続けていただくことがお客様の幸せにつながると信じております。
また、社員が満足していなければお客様に満足を与えることなどできない、社員が幸せであってこそ、お客様を幸せにできるという強い思いがあります。
会社が100年続けば、お客様も安心。
社員も安心。その家族も安心。
大企業ではなく優良企業。私はそんな会社を目指しています。
最後になりましたが、
創業から39年を超えた現在も、ここ福岡の地で私どもコスモスが存続できたことは、本当に地域の皆様のおかげと感謝しております。
その感謝を何らかの形で皆様へお返ししたいという思いから、地域貢献活動の一環として、モデルハウスを公民館のように開放させて頂いたり、餅つきや夏祭りなどの催し物などをさせて頂いております。
また、地域の皆様には、良いお家づくりをして頂けるよう、勉強会や相談会を開催し、住まいづくりに関するご支援も行っております。
多くの方にとって住まいづくりは一生に一度の体験です。
まだまだ微力ではございますが、少しでも地域の皆様に貢献できるよう、また住宅業界をリードしていけるように、社員一丸となって励んで参りたいと思います。
今後ともご愛顧のほど、どうぞよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。